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叔母・君子 その2

ロンドン地図

もう少し君子さんについて語ろうと思う。

君子さんが青島から無事に帰国し、その後どうしていたのか聞こうと思った。だが、「戦後すぐにM物産に復帰したの」と簡単に話してくれただけだった。叔母にもいろいろ事情があったのだろう。
君子さんは勤めながら書道やお茶を極めて行った。私が大分県佐伯から大阪に引っ越してきた昭和38年、私が小学生4年生の時には、扇町にあるレンガ建ての瀟洒な家に住んでいた。玄関には書道と裏千家の看板が飾られていた。当時、君子さんは47歳であったが、まだ物産を辞めていなかったので、趣味の領域だったのかもしれない。それでも習いにくる人が多かったのだろう、中には物産関係の偉いさんの奥様方がいたようで、その後、長いお付き合いになったようである。そんな中、私は一つ歳上の姉と一緒に君子さんの家にお茶を習いに行っていた。君子さんは着物を着て、茶室に設えた座敷で作法を教えてくれた。私はお茶とお菓子をいただく稽古ばかりをしていた。しかし、小学生を卒業してからは、私は君子さんの家に通わなくなり、叔母との関係は薄らいで行き、時折、君子さんが海外旅行に行っていたと、母から聞くだけだった。98歳になった君子さんに改めて聞くと、会社の休みにハワイに何度も行ったという。君子さんは仕事がバリバリできて、しょっちゅう海外旅行をするキャリアウーマンとして見られていたようだ。日本経済の高度成長期の真っ只中、日の出の勢いで業容を拡大していく商社でも珍しい存在だったのかもしれない。

昔話でも海外旅行が話題だと、昔を懐かしむような目をした。そういえば、ヨーロッパ旅行から帰ってきた君子さんからロンドンの地図をもらったことを鮮明に覚えている。君子さんが54歳で、私が17歳、高校の時の事である。君子さんのストーリーを書きながら、あの地図がないか書斎を探したが、見つからなかった。残念である。
さらに続く。
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