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気丈夫な伯母の話

叔母
(伯母のホームで声楽コンサートを開いた。私の娘のボランティア活動であった)

95歳になる伯母。老人ホームの最高齢者だ。視力に問題があって、いろいろな手続きやお金の管理は私が担当している。
伯母自身は、「私はね、気も体もしっかりしています。だから、あなたはここにくる必要なないのよ」と気丈夫なことを言っている。会うたびにそんなことを言う伯母は、大阪船場の紳士服テーラー店の“いとはん”として生まれ、大切に育てられた。商業学校を卒業したあと、財閥系商社で事務員として働き始めた。戦前の話である。

伯母は、入社まもなく会社から中国・山東省の青島支店に派遣された。年の頃は20歳前後の事務の女の子が単身で駐在することになったのは会社創設以来初めてであった。会社としては特別の対応だったのだろうが、支社長宅に下宿することになり、その家族と同様に扱ってもらったという。駐在員や現地の人たちにとって、調達や販売関係の情報を電信文に変換したり、手紙を書いたり、英文タイプを打ったり、帳簿をつけたり、取引先にお使いにいったりする伯母の姿は注目の的であったらしい。本社の偉いさんや現地の社員らも伯母をかなり大切に扱ってくれたようで、いまだに伯母はその話を昨日のごとく私に充実感を交えて話す。それ以来、戦後の混乱・復興時代、高度経済成長時代を通じてバリバリと働き続け、自立した女性のはしりとして実力を発揮した。しかしながら、結婚という人生の大イベントに関しては華々しいものは見当たらない。伯母をはじめ、私ところの家族は元来結婚の成功率はそれほど高くない家系か、伯母は結婚せず、仕事に趣味に生きてきた。その努力のお陰でお金の心配はいらないくらいに蓄えていたから、退職後の生活には心配はなかった。退職してしばらく、大阪・扇町の自宅で書道と茶道を教え、いろいろな茶会に特別誂えの帯に和服を着て顔を出し、その会を通じて広がった大阪財界人のご夫人方の人脈は大変なものだったそうだ。

介護付き老人ホームに入居する前は、高齢者専用マンションに住んでいたが、あまりに高齢なのと目が不自由で外出が思うようにできない状態であった。そこで倒れてしまったら、甥の私が伯母の面倒を見ないわけにはいかなくなる。そこで独立心旺盛で頭がいい伯母に老人ホームに入ってはどうかと持ちかけた。「派遣介護しかない、看護婦さんもいない、このマンションで生活に支障をきたしたら、私が伯母さんの世話と生活への干渉をしていくことになるよ。それより、何が起きても独立を維持しようとしたら、介護付きで看護婦さんもいるホームに入るほうが伯母さんにとっていいと思うけど」と説得した。

伯母が気に入るような病院っぽくないマンション風のホーム数箇所を一緒に見学して回った。その結果、伯母は駅に近く買い物も便利な新築の介護付き老人ホームで、経営もしっかりした大手金融系のところを選択した。伯母のこの決心は大きなものだったに違いない。若い人にとって引越しは多少不安はあっても、大抵明るい未来志向の行為であるが、高齢者の引越しそのものは、慣れ親しんできた生活環境の激変、その中で言葉を交わす僅かな人たちとの絶縁を生み出す。未来志向よりは過去と現在を大切にするしかない95歳の伯母にとっては、独立心の維持を自らの意思で選択したとはいえ、変わった環境で新しい関係を築いていくのは大変だったと思う。

2、3ヶ月に一回しか会わないが、少し記憶があやふやになってきた伯母は、「私のお金で今の生活はいつまでできるのかしら?」と、私に尋ねる。そのたびに、「110歳まで今の状態で生活できるようにプランを立てていますから、安心してください」と、私は応える。一時入所金、月額家賃、介護料、食事代などなど必要な経費を、伯母の財産と年金でカバーできるかどうか検証したことすら、忘れている伯母である。
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