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好きに生きてきた事

講演会
(40代前半の私、英国に出張したときのもの。まだまだ若かったなあ、と思う)

最近、ブログになかなか投稿できないのは、あまり目立った活動をしていないからだ。活動をしていなくても、いろいろネタがあるのだが、絵空ごとになってしまって、書いているといやになってくる。ひょっとしたら、何かの悪循環になっているのかもしれない。
つい先日、面白い依頼があった。もちろん、個人的にである。仕事を通じて知っている人から講演を頼まれた。それも高校2年生400名ぐらいに「企業が求める人財」というテーマでお話しする。ただ、今は私の経歴書を出して、学校に了解を求めている最中である。さて、了解がもらえるかどうか分からないが、もしそうなれば若い人たちの前でお話しするのは初めて、若い皆さんに関心をもってもらえる講演ができるかどうか、自分ながら興味深い。

テーマが真面目な、しかも企業よりの話なんで、堅いなあと思う。だから、高校時代から今までしてきたことを、どちらかといえば、海外旅行、海外留学、研究、それをギブアップして修理屋さんになったこと、ヨーロッパにしか住めないと思って生きてきたこと、将来国連の仕事をしたいと放言していたこと、ちょっと女のことなどなどを話してみたい。先生が気に入るかどうかはわからないが。
そんなことを考えてみれば、自由奔放にしてきたなあと感じる。講演が1時間半もある、質疑応答も30分あるので、退屈しのぎに、私のトラウマ、育った環境、姉のこと、如何に意地を張ってきたか、如何に思いを通してきたか、をお話しようと思う。今の仕事でもそんな感じでしてきたので、違和感はない。

こんなことに思いをめぐらしてきているが、何か気力が充実してきて楽しくなってきた。元々ストリーを作ることが好きな性格だけに、いろいろシナリオを作って、私の親友に実験台で聞いてもらおう。この講演は11月の中ごろだから、時間はたっぷりある。
若い人たちに共感を呼ぶ話ができるかどうか、私の最後の50代を記念するチャレンジだ。うまく学校の了解が取れればいいのだが・・・・。

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鉄道の旅

パリ北駅

欧州の鉄道の旅はなかなか味がある。この1月、パリからブリュッセルに行くのにThalys(タリス)という欧州高速鉄道を利用した。出発はパリ北駅。この駅からブリュッセルに行くのは初めてだった。北駅の正面はまるで大きな教会か宮殿のようなデコレーションが施されて、何かしら威厳があった。その中に入ると、天井は高く、鉄製の柱やフレームがむき出しになって組み重ねられていた。天井からぶら下がった出発列車の大きなボードが見えた。ほとんどがパリから北の方面へのローカル電車だ。中に、我々が乗るブリュッセル行きのタリスも表示されている。終着駅はケルンだ。途中にリエージュ(ベルギー)、アーヘン(ドイツ)に停まる。プラットホームの番号の表示はまだなかった。20本ほどホームがあって、それぞれのホームの入り口に電車の番号と行き先が表示された掲示板がある。ブリュッセル行きのタリスを探してホームを歩くと、列車の先頭がきれいに並んでいた。昔、終着駅という映画があったが、終着駅と言うに相応しく、列車が線路のエンドに到着している。これらの列車はまた乗客を乗せて、もと来た方向に帰っていくのだ。
出発ボードにはロンドン行きもあった。少し懐かしい気がした。今はユーロトンネルを通ってイギリスに行ける。しかし、ユーロトンネルが無かった時代は、パリ北駅からカレーまでは鉄道、そこでフェリーに乗り換えて、イギリス側のフォークストーン港に着き、そこからまた鉄道に乗って、ロンドン・ビクトリア駅に着く。ナイトフェリーを使えば、最も安くドーバー海峡を渡れた。ただ、時間がかかった。夜の10時に出発し、翌朝の7時ごろに着く。

その時代の1974年の3月、このナイトフェリーを使って、私はフランスからイギリスにはじめて渡った。姉をケンブリッジまで連れて行くためだったが、パリ北駅で乗ろうとしていたカレー行きの列車が満員で、困った挙句、姉をパリにもう一晩置いていくことにした。列車に乗り込み、3人分の席を確保しようとしたが、イースター休暇のせいか超満員で一席しか確保できなかった。「満員だから乗れない。明日の晩に来てね、ビクトリア駅で待っているよ」と姉に言い渡して、私は女友達と北駅を出発した。もちろん、ビクトリア駅で姉に再会できたのだが、きっと姉は怒っていただろう。姉を放って、女友達を“取った”わけだから。

出発掲示板

クリスマスツリー

Xmas-2


電飾付きのクリスマスツリーを買った。急に女房が買いたいと言ったものだから、その場でアマゾンにアクセスして注文した。発注から正味2日で配達され、居間にピカピカ光るツリーが存在感を示している。高さが120センチで、色は黒。白やグリーンがあったが、光を強調する黒色のモミの木を選んだ。Made in Chinaと書かれた細長い箱を開けて、中のものを取り出して組み立てした。“幹”に“足”を取り付けて枝を開くと、モミの木らしくなった。幹の近くに、大きな“デベソ”のような白っぽい塊があるなあと思っていたら、そこはファイバーが集まった場所だった。そのデベソに電飾用の3色ランプ源を取り付け、プラグをコンセントに差し込むと光り始めた。注文するときに、いまさらクリスマスツリーなんてと思っていたが、ファイバーの先端で輝く赤・青・緑の光点と、枝葉の間に導かれたファイバーからぼんやりと漏れるやわらかい光がミックスされて点滅するクリスマスツリーに感心してしまった。女房曰く、きれいだけど、ちょっと小さいと文句を言った。私は小ぶりなのがいいと反論した。

我が家では、このクリスマスツリーは3代目になる。娘が東京の大学に行くようになって、ロンドンで買った2代目のクリスマスツリーは飾らなくなって、納屋にずっと仕舞いこんでいた。それに、いつの間にかクリスマスツリーの“足”が行方不明になっていて、余計に居間に登場することはなかった。ロンドンにいた頃の一代目のツリーは、本当のモミの木をDIYのお店で買ってきて、それに小さな電球がいくつも連なった緑色のコードをモミの木にぐるぐる巻き付けていた。そして、ピンポン玉ぐらいからテニスボールぐらいまでの大きさのガラス玉をいくつも枝にぶら下げて、ブランコに乗った子供とかリボン付きのプレゼントの箱とかミニチュアの靴下とか、いろいろな飾りを取り付けた。最後に、モミの木のてっぺんに天使を乗っけてクリスマスツリーを完成させたものだ。2,3週間たつと、このモミの木は枯れてきて、短い針状の葉がポロポロと床に落ちてくる。この頃になると、もうすぐクリスマスツリーの撤収のタイミングだ。

居間の照明を消して、ファイバーからの光だけでクリスマスツリーを見ると、飾りつけたオーナメントがぼんやりと形を見せる。改めて、このクリスマスツリーはきれいだと思う。来週末に娘がお友達を連れて帰ってくるに相応しい雰囲気づくりができた。クリスマスイブの日に老人ホームでの演奏会で、お友達のピアノ伴奏で娘がクリスマスの歌を歌う。
期待したい。


ロンドン観光

punk

今や、ロンドンは最も危険な町になってしまったようだ。非常に残念だ。私が住んでいたのは1980年代だが、もっと安全だった。確かにサッチャー首相ができてきて、大ナタを振った改革を行い、一般庶民は生活が苦しくはなったが、こんな大騒動はなかった。こんなタイミングであるが、良き時代のロンドンの思い出をお話しようと思う。

・・・・・・・・◇・・・・・・・・◇・・・・・・・・◇・・・・・・・・
「ロンドンに住んでて、いいね。観光ができて」と、助手席に座った友達は言った。
「そうかなあ」私はハンドルを握りながら、それに応えた。他人からすると、私の生活はよく見えるのかもしれない。
2階建てのロンドンバスを追い抜き、トラファルガー広場の入口の交差点に入った。羽振りのよさそうな日本人の団体がライオンの前で写真を撮っていた。
「忙しすぎて、こうやって車で名所を案内するのがせいぜいなんだ」
駐在最初の年の半分はヨーロッパ大陸や中近東に出張していた。一回の出張が一週間から二週間で、大概幾つかの都市を回った。その年のフライト回数は74回にもなった。
「ほとんど出張してるんだ」
私は、出張は嫌いではなかった。金曜日の夕方にロンドンに到着するフライトが、特に好きだった。飛行機はテムズ川の河口から着陸態勢に入り、川に沿ってヒースロー空港をめがけて高度をどんどん下げて行く。薄い雲を通して、眼下にうねうねと蛇行したテムズ川や青々とした牧草地とけし粒大の村々が見えた。私は目を凝らして、パッチワークのように区切られた大地の中に週末の楽しみを探した。それはゴルフ場だった。空から見たゴルフ場に、私の顔はほころんだものだ。

「じゃあ、週末はどうしてるんだ」
車が停車するたびに友達は私の暮らしぶりを尋ねた。
「この間の土曜にはね、知り合いをそこのホテルに連れていって、朝飯を食べさせたんだ。そこのイングリッシュ・フルブレックファーストがなかなか美味しいんだな」私は丸い時計が取り付けられたビルの奥にあるサボイホテルを指さして言った。
「けど、大抵はゴルフさ」 私は、コペントガーデンに足早に向かう家族連れを目で追った。きっと彼らは12時から始まるストリートパフォーマンスを見に行くのだろう。お決まりの観光をやめてここも悪くない。だが、私は真っ直ぐにシティーに向かった。

「そうか、観光よりゴルフ、それに日本食だな」
友達は、独身日本人駐在員の典型的な生活をさも見通したかのように言い放った。それは、当たっていた。まさしく、エンゲル係数は限りなく高く、給料の半分以上は日本食に消えていったし、残りはゴルフ代と車の維持費、それにちょっとした成金気分のブランド品の買い物。そんな経済状態で優雅に観光もないだろう。この一年で一番たくさん通ったロンドンの名所はと聞かれたら、私は「ヒースロー空港」と答えるだろう。
明日はゴルフ。私はうきうきとした気分で、誰一人いない銀行街を抜けてタワーブリッジ方面にハンドルを切った。


car2
私(27歳)が最初に手に入れた自動車(ベルギー製ヴォックスホール)。

母音「A」で終わる名前は女!?

「Hirotako, can you see the red car parking over there!」
「Yes, sir」
約50メートルほど離れた赤の車のナンバープレートのことだ。
「Please read the number plate for me!」
「Ah-- yes. X J P 2 3 9 T, isn’t it」
私は、実地テストの教官に答えた。私は、教官のコックニー訛りを正しく理解しているかどうか自信はなかった。でも、見えたナンバープレートに書かれた文字を読み上げた。
「OK, Hirotako. You have good eyes. Then let’s start the driving test.」
こうやって、私の英国運転免許の試験が始まった。

歩道と車道がはっきり分離しているロンドン市内の道も両側に車がびっしりと駐車していると、運転しにくい。私はウインカーを点滅させて注意深く車をスタートさせた。ロンドン事務所の先輩社員にいろいろ注意点を聞いていたので、それほど緊張せずに教官の言うとおりに運転をし始めた。教官は単にこの道をまっすぐとか、次を右折とかを指示するだけで、私の運転操作を見ながらチェックシートに黙々と書き入れるだけだった。無駄口は一切ない。

教官の指示で住宅街を走ってきて、T字路に出くわした。両サイドの角は縦列駐車の車が死角になって車の往来が全く見えなかった。私は少しずつ車のノーズを出しては止まり、接近する車や人がいないかを確かめて左折した。運の悪いことに目の前をミルクカーが走っている。ウィーンという電気モーターの回転音を出しながら、ミルクを各家庭に配達する電気自動車だ。私は追い越さずに、じっと我慢してその後に続いた。しはらく一緒に走った後、ミルクカーは住宅街の奥に消えていった。私は普通の速度に戻しながら、教官から次の指示が出るまでまっすぐに運転した。教官がなにやらシートに書き込んでいるのが視野の隅っこに見える。何を書いているのだろうかと、私は思った。
少しばかり広い道に出てきて、ホッと一息付ける状態になった。

「Hirotako, please stop there and make U turn.」
「OK, sir」
幅7メートルぐらいの道でUターンせよとの指示だ。私は一旦路肩に車を止めた。するとバックミラーに車の姿が見えた。これをやり過すほうが賢明だ。時間をかけて周囲を把握して、操作を開始すればいい。私はハンドルを一杯に切って反対側の歩道の縁石まで前進し、また周囲の状況を確認して、ハンドルを戻してまっすぐそのまま後退。そして、ハンドルを再び同じ方向に切ってUターンを完了した。日本だったら、切り返しなしてクルリと回ることを競う。車の回転能力から言えば一気にできる。運転技量もそれなりにある。でも、それはイギリスでは通じない。技量より配慮であり、優先権を持つ者の特権をどのように行使するかがイギリスの運転の真髄である。

無事にThree-Point-Turn(3点切り返しターン)テストを終わり、何事もなく出発地点に帰還した。
「Hirotako, Now please answer my questions.」
教官は運転規則の本を取り出して、標識を指差しながら言った。
「What meaning is this sign?」
「No parking」
「Good!」
「How do you do if becoming sleepy in the motorway?」
「Well, I stop the car at the safest place of the motorway where I can park, and then take a nap.」
「Well done! Hirotako」
「Thank you, Sir」
「Do you have any question?」教官は私に尋ねた。
「There’s one thing that I would like to ask you. Please call me HirotaKA, not HirotaKO. It sounds something like an octopus.」
「So sorry, HirotaKI !」

こうしてイギリスの運転免許試験に合格した。だが、1時間ほどの運転と口頭試問で仲良くなった教官は、ついに私の名前を正しく発音してくれなかったのである。
イギリスでは、母音「A」で終わる名前は女なのである。

License
イギリスの免許証。2023年まで有効。顔写真は貼っていない。一度取得すると、永久に使える。今は制度が変わって、写真付きになったとか。これを持ってると、アメリカでも日本の国際免許なしても運転できた。
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Author:Hirowa
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